update:2018/01/04
日本には、全国各地に窯業地があって、○○焼と呼ぶさまざまな「やきもの」の名前があります。平安時代にはすでに原型があって、現在まで窯の火が途絶えていないものもあれば、残念ながら途切れてしまったものもあります。知れば楽しい、窯業地とやきものの名称をリストアップしました。
*表は都道府県順に並んでいますが、項目ごとに並び替えができます。
area | founded | name | comment |
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小樽市 | 北海道(1900) | 明治32年おたるやき | 小樽焼越後新発田の藩御用窯の陶工・白勢慎治が、明治維新後小樽に渡り、開窯。当初は古代文様やアイヌ風模様等の独特の作風だったが、現在は様々な作品が作られ、特に緑玉織部という透明感ある青緑色の釉薬が有名。 |
弘前市 | 青森県(1691) | 元禄4年つがるやき | 津軽焼平清水三右衛門、瀬戸助、久兵衛らによって築窯されたが、大正末期頃にすべての窯が廃窯。昭和11(1936)年に再興され、現在に至っている。青森の郷土色を生かし、りんごの木倍を原料としたリンゴ釉なども特徴的。 |
八戸市 | 青森県江戸時代末期 | はちのへやき | 八戸焼八戸焼、あるいは蟹沢焼と呼ばれた民窯だが、昭和には既に幻のやきものと呼ばれるようになっていた。現在は、昭和50(1975)年に渡辺照山により再興されたもので、海草色と呼ばれる独自の緑釉が人気。 |
仙台市 | 宮城県江戸時代 | つつみやき | 堤 焼仙台の杉山台の陶土を使用し、杉山焼とも呼ばれ、乾山風の作品が特徴。近代に民芸運動の柳宗悦によって脚光を浴びたが、衰退。現在は旧伊達藩御用窯であった針生窯が仙台市泉区に移転している。 |
大仙市 | 秋田県江戸時代末期 | ならおかやき | 楢岡焼かつては数軒の窯元がありましたが、現在は角右衛門窯のみが残っています。有名なのは、独特な青みと深みを持つ海鼠釉(なまこゆう)で、際立つ青が流れたり斑になったりして表面に景色を与えています。 |
仙北市角館 | 秋田県(1771) | 明治8年しらいわやき | 白岩焼相馬の陶工・松本運七が白岩村前郷(仙北市角館)に開窯。東北3大窯業地の一つと言われたが、明治33年には全て廃窯、昭和50年に再興され、現在に至る。作品は青白い海鼠釉(なまこゆう)や鉄釉、飴釉、緑釉など。 |
山形市平清水 | 山形県平安時代 | ひらしみずやき | 平清水焼窯業地としての本格的な成立は江戸時代中期頃。千歳山の原土を使用するため、千歳焼とも呼ばれる。梨青磁の青龍窯、油滴天目の平吉窯、そして民芸陶器の七右ェ門窯がそれぞれの特徴を競い合っている。 |
会津美里町 | 福島県(1593) | 文禄2年あいづほんごうやき | 会津本郷焼若松城の大改修で黒瓦を製造したのが始まりとされ、正保2(1645)年に会津藩主・保科正之が瀬戸の陶工を招聘して、本格的に製造が開始します。寛政12(1800)年には白磁が作られ、さらに発展。幕末の戊辰戦争などで大打撃を受けた時期もありますが、現在も生産は盛んで、純白の肌と優雅な文様の磁器が人気です。 ★経済産業省指定「伝統的工芸品」 |
二本松市 | 福島県江戸時代 | おおぼりそうまやき | 大堀相馬焼相馬藩内で農家の副業として発展し、江戸末期には100数戸の窯元が存在したが、明治期に減少。現在は震災の影響で浪江町大堀は避難を余儀なくされ、二本松市小沢工業団地内に窯元が移転。器全体に地模様のように見える「青ひび」と、伸びやかな筆使いで描かれる「走り駒」が特徴的。 ★経済産業省指定「伝統的工芸品」 |
相馬市 | 福島県江戸時代 | そうまこまやき | 相馬駒焼京の野々村仁清の元で修行した田代源吾右衛門(のちに清治右衛門)が開窯。窯元当主は代々田代清治右衛門を襲名。走り馬(駒)が特徴的で、駒焼とも呼ばれている。 |
益子 | 栃木県江戸時代末期 | ましこやき | 益子焼笠間で修行した大塚啓三郎が開窯、鉢・水甕・土瓶など日用の道具の産地として発展。大正13(1924)年に民芸運動を進めた陶芸家・濱田庄司が移住・開窯し、益子焼は美術工芸品としても注目されるようになった。現在は多種多様な陶芸家が集まり、作風も多種多様。 ★経済産業省指定「伝統的工芸品」 |
笠間市 | 茨城県(1772-1781) | 安永年間かさまやき | 笠間焼箱田村(現在の笠間市箱田)の久野半右衛門が、信楽の陶工・長石衛門の指導で開窯。明治以降も厨房用粗陶器の産地でしたが、徐々に衰微。しかし昭和25年に茨城県窯業指導所が設立し、窯元が増加。現在は指導所出身者も含めて、県内外から多様な陶芸家が集まり、伝統と同時に作家の個性も重んじられている。 ★経済産業省指定「伝統的工芸品」 |
佐渡市相川 | 新潟県江戸時代後期 | むみょういやき | 無名異焼佐渡の無名異の土を使用し、楽焼(低温焼成の施釉陶器)を作ったのが始まりと言われ、明治に入り、高温で焼く硬質の無名異焼が完成。成形後と焼成後の二度にわたって磨きをかけて光沢を出すのが特徴で、堅く焼締まっているので、指ではじくと金属のような音が鳴る。 ★重要無形文化財 |
珠洲市 | 石川県平安時代末期 | すずやき | 珠洲焼古墳中期に伝播した須恵器の系統のやきもので、古くから壺・甕・擂鉢などが作られたが戦国期に姿を消し、幻の古陶と呼ばれていた。昭和30年以降、窯跡の研究が進み、考古学者に「珠洲焼」と命名され注目。昭和53年に珠洲市陶芸センターが設立し、珠洲焼が復興。現在は窯元や陶芸家が集まっている。 |
金沢・小松 加賀・能美 山代温泉 | 石川県(1655頃) | 明暦1年頃くたにやき | 九谷焼九谷村で陶石を発見、肥前有田で修業した後藤才次郎が開窯。「古九谷」と呼ばれる初期のものは短期間で廃窯。約100年後に再興されたものは、「再興九谷」と呼ばれ、青手の吉田屋窯、赤絵細描の宮本屋窯、京から招聘された名工・永楽和全の金襴手、九谷庄三の豪華な彩色金襴手などが登場して隆盛し、現在に至っている。 ★石川県無形文化財/経済産業省指定「伝統的工芸品 |
金沢市 | 石川県(1666) | 寛文6年おおひやき | 大樋焼楽家で修業した陶工・土師長左衛門を加賀藩主が招聘し、金沢氏大樋町に開窯、藩御用窯として、大樋姓を許された。現在は11代目が活躍。楽焼の脇窯として茶陶を中心とした作品が作られ、飴釉が特徴的。 |
越前 | 福井県平安時代末期 | えちぜんやき | 越前焼東海地方からきた陶工集団が越前町小曽原に開窯したのが始まりと言われ、日本六古窯の一つ。室町後期には25m越の大窯が作られ、壺・甕・擂鉢を主とした日常雑器を大量生産したが、江戸時代には生産量も減少。明治に信楽や瀬戸・九谷などから陶工を招いて食器や花瓶作りなどを始め、後継者の育成にも努めている。 ★経済産業省指定「伝統的工芸品」 |
瀬戸市 | 愛知県平安時代 | せとやき | 瀬戸焼瀬戸窯業は遅くとも11世紀初頭には開始していたと考えられる。平安時代末期からは無釉の碗や皿などが大量に生産され、鎌倉時代初期から室町時代中期は「古瀬戸」と呼ばれる施釉陶器が作られた。桃山時代には天目茶碗などの高級な茶陶、江戸時代に染付磁器を開発。現在は、産業としての窯業と、美術工芸の分野が共存。 |
常滑市 | 愛知県平安時代末期 | 日本六古窯の一つに挙げられ、中でも最大の生産地だったとされている。室町時代には大型の甕や壺が大量に生産され、日本各地に流通。江戸時代になって、それまでになかった茶道具などの工芸品が登場し、中でも現在でも名高い朱泥の急須は、江戸時代の終わり頃に中国の陶器を参考に作られたとされている。 ★経済産業省指定「伝統的工芸品」 |
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瀬戸市赤津 | 愛知県(1610) | 慶長15年あかつやき | 赤津焼美濃で修業した仁兵衛・陶三郎の兄弟が尾張藩主に招聘されて、赤津で開窯。織部釉・志野釉・黄瀬戸釉・古瀬戸釉・灰釉・御深井釉・鉄釉の7種類の釉薬と、へら彫り・印花・櫛目・三島手などの12種類の多彩な装飾技法が特徴。 ★経済産業省指定「伝統的工芸品」 |
瀬戸市 | 愛知県(19世紀初頭) | 江戸時代後期せとそめつけやき | 瀬戸染付焼瀬戸の磁祖・加藤民吉(?~1824)が磁器の製造法を肥前で学び、瀬戸で瀬戸染付磁器を創成。透けるような白い素地に良質な呉須(青の顔料)を使って、日本画のような筆致で描いた山水・花鳥などの作風は、他の窯業地と一線を画し、近代の瀬戸窯業を飛躍させる大きな要因となった。 ★経済産業省指定「伝統的工芸品」 |
多治見市 土岐市 瑞浪市 | 岐阜県平安時代 | みのやき | 美濃焼岐阜県美濃地方東部・東濃地方のやきものの総称で、古いものは古墳時代とされる。平安時代には須恵器、その後は桃山時代の茶陶隆盛に伴い、古田織部らの先導で志野・織部・黄瀬戸・瀬戸黒などを創造。近代以降も、荒川豊藏をはじめ多くの陶芸家が集まり、窯元による伝統と個々の陶芸家の活動の両方が盛ん。 ★経済産業省指定「伝統的工芸品」 |
高山市 | 岐阜県(1841) | 天保12年しぶくさやき | 渋草焼飛騨郡代・豊田藤之進が戸田柳造に焼かせたことが始まりとされます。地元の渋草陶石を使用し、飛騨九谷・飛騨赤絵と呼ばれる陶磁器を作り始めました。一時期衰退しましたが、明治11(1878)年に芳国社が設立され、再興し現在に至ります。白磁に染付、赤絵などを施し、独特の渋草調を生みだしています。 ★高山市指定有形民族文化財 |
篠山市立杭 | 兵庫県(〜鎌倉初期) | 平安時代末期たんばたちくいやき | 丹波立杭焼日本六古窯の一つ。当初は壺・甕・擂鉢が主流だったが、江戸前期には茶入や水指・茶碗、後期には名工も登場して、湯呑・皿・鉢・徳利・花瓶などが広く流通した。特に徳利の人気が高く、様々な形や意匠の作品が残されている。以前は丹波焼や立杭焼と呼ばれたが、現在は「丹波立杭焼」として伝統的工芸品指定を受けている。 ★経済産業省指定「伝統的工芸品」 |
出石 | 兵庫県江戸時代中期 | いずしやき | 出石焼二八屋珍左衛門が出石町谷山の柿谷に白色原石を発見し、伊豆屋弥左衛門が出石郡細見村に開窯とされています。江戸時代後期には、染付師鹿児島屋粛平が出石町西位花山に開窯し、多くの優品を生み出し、愛陶家の垂涎の的になっている。現在の出石焼は白磁を中心としたやきもので人気。 ★経済産業省指定「伝統的工芸品」 |
京都市上京区 | 京都府桃山時代 | らくやき | 楽 焼千利休の指導により、樂家初代長治郎によって創始され、その後も樂家歴代によって継承。ロクロを用いず手捏ねで作られ、内窯(室内の小型窯)で比較的低温で焼成、作品は茶陶が中心。中でも樂茶碗は名高い。当主は代々樂吉左衞門を名乗り、現在は15代目。また広義での楽焼は、大樋焼などの樂家の脇窯なども含まれる。 |
京都市五条坂 清水焼団地 他 | 京都府創業時期不詳 | きょうやき・きよみずさやき | 京焼・清水焼一般的に江戸初期からの京窯によるやきものの総称(楽焼を除く)を指す。清水焼とは、この中でも東山の清水・五条坂で焼かれたもの。野々村仁清や尾形乾山の登場により、絵画的・蒔絵的な意匠の色絵が主流となり、特に江戸初期から中期のものは「古清水」。奥田頴川や青木木米、仁阿弥道八など名高い名陶も登場した。 ★経済産業省指定「伝統的工芸品」 |
奈良市赤膚町 五条山 | 奈良県創業時期不詳 | あかはだやき | 赤膚焼古くは埴輪や土器、奈良時代以後は日常雑器が作られていたと考えられますが、始まりなど詳細は不明。文献資料としては天正年間(1573~1592)以後で、現在の赤膚焼として確立は江戸時代に入ってから。赤膚焼の中興の祖は陶工・木白で、様々な茶陶を焼き、名声を高めた。現在では、作風が時代に応じて変化し、多種多様。 |
伊賀市 | 三重県奈良時代頃? | いがやき | 伊賀焼平安末期頃には本格的な窯業地として発展していたと考えられる古窯。室町後期から桃山時代にかけて、茶の湯の隆盛により個性的な茶陶を「破調の美」として注目されるようになった。江戸時代中期に一時期衰退しますが、18世紀中頃に再興され、現在では、伊賀市丸柱を中心に、土鍋や食器、茶陶など多岐にわたって作られている。 ★経済産業省指定「伝統的工芸品」 |
四日市市 | 三重県(1736-1741) | 元文年間よっかいちばんこやき | 四日市萬古焼沼波弄山が創始した、異国趣味の斬新な赤絵が特徴的なやきもの。この弄山作品を「古萬古」と呼ぶが、死後に断絶。その後、森有節・千秋の兄弟によって再興。古萬古とは様式が異なり、ピンク色の釉薬に粉彩を施した華麗なもので、「有節萬古」と呼ばれている。現在の四日市萬古焼は、この流れ。 ★経済産業省指定「伝統的工芸品」 |
信楽 | 滋賀県(729-749) | 天平年間しがらきやき | 信楽焼日本六古窯の一つ。聖武天皇が紫香楽宮造営時に焼かれた瓦や汁器の須恵器が始まりとされる。中世には日常壺・甕・擂鉢、室町から桃山時代の茶陶、江戸時代には梅壷・みそ壷・徳利・土鍋など様々な種類が作られた。信楽の無釉焼締は、灰が溶けて釉薬をかけたようになる自然釉と、焼成による火色の景色が特徴的。 ★経済産業省指定「伝統的工芸品」 |
江津市 | 島根県江戸時代 | いわみやき | 石見焼周防岩国藩から製陶法が伝わったとされ、大甕などを中心に、北前船で全国に出荷されてきた。現在では多様なニーズに合わせ、甕以外にも茶器や壺、食器など様々なものが作られている。深みのある茶褐色の釉薬が伝統的な特徴で、現在では彩りも様々になってきている。 ★経済産業省指定「伝統的工芸品」 |
安来市伯太町 | 島根県(1844) | 弘化1年もりやき | 母里焼母里藩の産業・文化事業として開窯、御用窯として、茶碗や皿・湯呑・土瓶といった日用陶器を中心に作られてきた。色の豊富さが特徴的で、伝統の色に加え、現在までに窯元が新しく加えた色を含めると約30種類もの釉薬がある。 |
松江市 | 島根県(1877) | 明治10年そでしやき | 袖師焼初代・尾野友市が松江市上乃木に開窯。昭和に民芸運動の河井寛次郎らの指導を受けて、民陶として現在に至る。出雲に伝わる技術を基本に地元の土と釉薬にこだわる一方、時代のニーズに合った様々な日用雑器を作っている。 |
安来市 | 島根県(1947) | 昭和22年しゅっさいやき | 出西焼松江の袖師窯や益子、丹波、沖縄など全国各地で学んだ地元出身の5人が協同して開窯。創業時から民芸運動の柳宗悦や河井寛次郎、バーナード・リーチなどの指導を受け、現在に至る。伝統の継承と同時に、モダンな作風が加わり、大衆向けの民陶として人気。 |
八頭 | 鳥取県(1764-1772) | 明和年間いんきゅうざんやき | 因久山焼京焼の陶工・六兵衛が、池田藩の御用窯として庇護の下に開窯。その後、信楽焼の技法も伝えられ、京焼と信楽焼の技法が混じり合い独特の風雅さと土味のある作風が形成。名工が次々と登場し、茶陶や日用雑器を作り続け、藁灰釉や緑釉、海鼠釉、辰砂などさまざまな釉薬を用いた素朴で格調高い作品が広く愛好されている。 |
牛戸 | 鳥取県(1830-1844) | 天保年間うしのとやき | 牛ノ戸焼因幡の陶工・金河藤七によって開窯するも、藩などの庇護のない民窯のため、一時的に衰退。昭和に民芸運動の吉田璋也、柳宗悦、バーナード・リーチらの指導の下で復興した。以後は民芸調の「用の美」を追求したやきものとして、高い評価を得て現在に至っている。 |
備前市伊部 | 岡山県古墳時代 | びぜんやき | 備前焼古墳時代の須恵器、平安時代に碗・皿・盤や瓦などを生産。鎌倉時代には壷・甕・擂鉢が多く作られ、室町時代以降には茶陶や日常雑器の他に置物も作られた。近代に衰退するも、「中興の祖」人間国宝・金重陶陽により再び脚光を浴び、その後も次々と人間国宝を排出。作風は、釉薬や絵付なしで焼き、土味を見せるのが特徴。 ★重要無形文化財/経済産業省指定「伝統的工芸品」 |
萩市 長門市 | 山口県(1604) | 慶長9年はぎやき | 萩 焼陶祖である、朝鮮渡来の李勺光・李敬兄弟が御用窯として開窯。この御用窯「松本萩」は坂高麗左右衛門や三輪休雪、後に分かれて長門に築窯した「深川萩」には坂倉新兵衛や田原陶兵衛・坂田泥華が伝統的な陶家として継承。高い吸水性が特徴的で、長年使うと茶や酒が浸透する「茶馴れ」が使い手に愛されている。 ★経済産業省指定「伝統的工芸品」 |
鳴門市 | 徳島県(1780) | 安永9年おおたにやき | 大谷焼徳島藩主が磁器焼成を目指し、肥前(九州)の陶工を招聘して藩窯を作ったのが始まりとされる。しかし地元に磁器の材料がないため短期間で閉窯、その後天明4(1784)年に信楽の陶工の指導の下に再興された。現在では、大甕から日用雑器まで様々なものが作られ、民芸調や独自性あふれるやきもので人気。 ★経済産業省指定「伝統的工芸品」 |
砥部 | 愛媛県江戸時代 | とべやき | 砥部焼安永4(1775)年に、藩主が磁器生産を命じて本格的に開始。肥前から招聘した陶工により白磁焼成に成功、文政1(1818)年に良質の川登陶石が発見され、より白い磁器生産が可能に。近代には民芸運動の柳宗悦やバーナード・リーチ、浜田庄司らが高く評価し、富本憲吉が近代的デザインを後押したことで、現在も人気がある。 ★経済産業省指定「伝統的工芸品」 |
田川郡香春町 福智町 | 福岡県(1561-1615) | 慶長年間あがのやき | 上野焼千利休の弟子、豊前藩主・細川忠興が招聘し、渡来した朝鮮陶工・尊楷(和名:上野喜蔵)が開窯、格調高い茶陶を作りました。遠州七窯の一つにもあげられ、当時の茶人も愛好。現在では茶陶だけでなく、日用雑器なども作られるようになり、時代によって趣を変化させながらも、洗練された作品を保っている。 ★経済産業省指定「伝統的工芸品」 |
直方市 | 福岡県(1561-1615) | 慶長年間たかとりやき | 高取焼筑前藩主・黒田長政より、渡来した朝鮮陶工・八山(和名:高取八蔵)が開窯。前黒田藩の御用窯として、茶人大名の黒田如水・小堀遠州らが九州の風土の中で育て、上質な茶陶が作られた。遠州七窯の一つにあげられ、中興名物の茶入などは特に有名。現在も茶陶を中心に様々なものが作られている。 ★経済産業省指定「伝統的工芸品」 |
小石原 | 福岡県江戸時代前期 | こいしわらやき | 小石原焼黒田藩藩主が高取焼の2代高取八蔵貞明を招聘して鼓に開窯した、筑前最初の窯業地。御用窯的な役割をし、茶陶中心に生産。その後、八蔵の孫八之丞貞正が皿山に開窯、主に日用陶器を焼いた。現在も鼓は茶陶、皿山は民陶として刷毛目・飛び鉋・櫛描などの意匠で知られている。 ★経済産業省指定「伝統的工芸品」 |
唐津市 武雄市 | 佐賀県桃山時代 | からつやき | 唐津焼現在の唐津焼につながる本格的な窯業は、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に渡来した陶工たちによって開窯されたのが始まり。茶陶の優品が数多く残されていますが、日常雑器も人気があり、特に愛陶家の間では、「備前の徳利、唐津のぐい呑」と言われるほど。種類も絵唐津・朝鮮唐津・斑唐津・彫唐津など豊富。 ★経済産業省指定「伝統的工芸品」 |
有田 | 佐賀県江戸時代初期 | ありたやき | 有田焼有田で焼かれた磁器の総称が「有田焼」。以前は伊万里港から出荷されていたため、「伊万里焼」と呼ばれていた。1616年に渡来した朝鮮の陶工・李参平が磁器の原料となる陶石を有田で発見し、国内ではじめて磁器の焼成が行ったが始まり。17世紀後半には海外への輸出を盛んに行われ、隆盛を誇り、現在でも人気が高い。 ★経済産業省指定「伝統的工芸品」 |
伊万里市 | 佐賀県江戸時代初期 | いまりやき | 伊万里焼江戸時代、肥前の磁器の総して伊万里焼と呼んでおり、現在はそれを「古伊万里」と呼ぶ。対して現在の伊万里焼は、鍋島藩の御用窯として大川内山で焼かれた「鍋島焼」を受けついてきた大川内山のやきものを呼ぶ。ちなみに鍋島焼は献上用として最高級の磁器を目指したもので今泉今右衛門家が継承している。 ★経済産業省指定「伝統的工芸品」 |
佐世保市 | 長崎県(1561-1615) | 慶長年間みかわちやき | 三川内焼平戸焼とも呼ばれ、平戸藩の御用窯として渡来した朝鮮陶工が開窯。18世紀初頭には天草陶石を用いた白磁に染付(藍色の絵付)された作品が作られるようになり、海外にも輸出。明治以降民営となり、一時期衰退したが、意匠伝習所を設立、新しい意匠なども考案され、現在も盛んに作られている。 ★経済産業省指定「伝統的工芸品」 |
波佐見市 | 長崎県江戸時代? | はさみやき | 波佐見焼始まりは諸説があって詳細不明ですが、初期には陶器が作られ、後に青磁、さらに染付が作られるようなった。そのほとんどが日常食器であり、中でも唐草模様を筆で簡単に描いた「くらわんか碗」と呼ばれた丈夫で壊れにくい、厚手で素朴なやきものが代表的。現在も、磁器の食器の生産は国内でもトップクラス。 ★経済産業省指定「伝統的工芸品」 |
現川市 | 長崎県(1691) | 元禄4年うつつがわやき | 現川焼矢上村(現在の長崎市現川町)で田中宗悦によって開窯、矢上焼とも呼ばれるす。唐津と京が混じった作風で、茶碗・皿・鉢・向付などを生産、寛保年間(1741-1744)に廃窯に。明治に馬場藤太夫が再興し、昭和には横石臥牛が古現川焼を復興、現在に至る。薄手の素地に白い化粧泥を刷毛で施した作品が有名。 |
日田市 | 大分県(1705) | 宝永2年おんたやき | 小鹿田焼黒木十兵衛が小石原村の陶工・柳瀬三右衛門を招いて開窯。昭和29年には民芸運動でも有名な陶芸家バーナード・リーチが約1ヶ月滞在し、優れた民窯として注目を集めるようになった。作風は飛び鉋、刷毛目、櫛描、打ち掛け、流し掛けなどの多彩な技法が用いられ、昔ながらの陶法に人気が集まっている。 ★重要無形文化財 |
天草地方各地 | 熊本県江戸時代 | あまくさとうじき | 天草陶磁器熊本県天草地方で焼かれる陶磁器の総称で、国の伝統的工芸品に指定された際につけられた新しい呼び名。豊富な天草陶石と陶土が採掘されるため、古くから磁器の内田皿山焼や高浜焼、陶器は丸尾焼、水の平焼などが、天草の各地で焼かれていて、現在でも多くの窯元・陶芸家が伝統と独自性のあるやきものを競い合っている。 ★経済産業省指定「伝統的工芸品」 |
荒尾市 南関町 熊本市 | 熊本県(1632) | 寛永9年しょうだいやき | 小岱焼小代焼とも表記し、豊前から転封された細川忠利が陶工の牝小路家初代源七、葛城家初代八左衛門を従え、開窯したのが始まり。作風は、鉄釉に白濁釉を流し掛けしたものが代表的で、素朴で味わいがあり、現在では茶器の他に、食器などの日用品も多く作られている。 ★経済産業省指定「伝統的工芸品」 |
八代市 | 熊本県(1632) | 寛永9年こうだやき | 高田焼八代焼とも称し、転封する細川三斎に従い、豊前国上野にいた陶工・尊楷(和名:上野喜蔵)が開窯。初期は上野焼の作風でしたが、きめの細かい胎土を用いるようになり、象嵌の技法が完成され、褐色地に白模様の象嵌だけでなく、白地に黒色の象嵌模様の太白焼(白八代または白高田)と呼ばれるものも焼かれるようになった。現在では、高麗風の象嵌を施した高麗青磁の作品も作られている。 |
姶良市 日置市 鹿児島市 | 鹿児島県(1599) | 慶長4年さつまやき | 薩摩焼渡来した朝鮮陶工が、朴平意を中心として薩摩各地で開窯。現在県内には、竪野系・苗代川系・龍門司系が薩摩焼の系譜として続いている。薩摩焼は「白薩摩(しろもん)」と、「黒薩摩(くろもん)」に大別され、前者は豪華絢爛に色絵された錦手の作品で海外でも有名。後者は、鉄分の多い土で黒っぽく、重厚な雰囲気で、日用雑器が主。 ★経済産業省指定「伝統的工芸品」 |
種子島 | 鹿児島県江戸時代 | たねがしまやき | 種子島焼種子島島内のみで使用されていた民窯の能野(よきの)焼が始まりですが、島外に知られることなく明治には廃窯。しかし、昭和46年、唐津の伝統を持った陶工により再興され、現在に至る。作風は、島の鉄分を含んだ土を用い、丈夫で素朴な風合いのやきものになっている。 |
那覇市壺屋 読谷村 | 沖縄県(17世紀) | 江戸時代つぼややき | 壺屋焼早くから中国や南方諸国の陶法が伝えられていたと考えらるが、1682年に王府の政策により各地の窯を統合し、現在まで続く壺屋焼となった。明治に民芸運動の濱田庄司らが訪問し、一躍全国的に有名に。昭和には金城次郎(人間国宝)らが読谷村に移転して陶芸村(やちむんの里)をつくり、そちらは読谷壺屋焼とも呼ばれている。 ★経済産業省指定「伝統的工芸品」 |