桃山の黄金期〜戦国武将と茶の湯(2)

update:2018/04/13

さて、戦国武将と茶の湯の話の続きは、秀吉の朝鮮出兵の話から。

実は、当時の名物はほぼ中国あるいは朝鮮半島から来た陶磁器。平安時代にはすでにあった唐物崇拝は消えたわけではないのです。ただ、それが「すべて」でもなくなってきたのが、この時代なのです。

◎高麗茶碗とやきもの戦争

この時代にはやきもの史の中でも最大級の大事件があります。いわゆる「やきもの戦争」、秀吉の朝鮮出兵(文禄慶長の役)です。
この悪名高い戦争は、朝鮮の人々にとってはもちろんのこと、出兵した日本人にとっても災難以外の何物でもなかったのですが、結果として、日本の文化において計り知れない恩恵も与えました。

出兵した武将たちは、朝鮮半島では雑器として使われていたと考えられている「高麗茶碗」を珍重し、それを各地で漁りました。さらにはそれに飽きたらず、多くの朝鮮陶工を連れ帰ったのです。そのため、朝鮮半島におけるやきものは壊滅的な打撃を与えましたが、彼らによって日本では多くの窯場が開かれ、技術が伝えられました。前述のような豪放なやきものが誕生した背景に、技術の飛躍的な進歩があったことも確かでしょう。

彼らの作った窯場の代表が、唐津、上野(あがの)、高取、伊万里、萩などです。彼らは陶祖として名を残しているものもいることから分かるように、大名の庇護を受け、現在まで敬意を払われています(後に和名に変更している場合がほとんどですが、陶祖は朝鮮名も残っています)。この後、日本のやきものは急激にバラエティ豊かになり、さらには磁器の焼成成功へと至るのです。

ちなみに、彼ら朝鮮系の陶工を祖として、現在まで続いている家もあります。陶祖と陶祖神社・陶祖祭は各地に残っていますので、いずれ別の機会にその話をしようと思います。

さて、嵐のような桃山期が終焉すると、文化も丸くなってきます。そのため、一部の窯場は冬の時代となり、あるいは時代にあった新しい意匠の模索が始まります。それは、次回にて。
 

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(2010年初出、転載・加筆修正、2023年加筆修正)