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「やきもの」の名前リスト

日本には、全国各地に○○焼と呼ぶさまざまな「やきもの」の名前があります。平安時代にはすでに原型があって、現在まで窯の火が途絶えていないものもあれば、残念ながら途切れてしまったものもあります。知れば楽しい、やきものの名称をリストアップします。

2015年1月14日更新
















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小樽焼(おたるやき)
北海道小樽市
明治32(1900)年~
越後新発田の藩御用窯の陶工・白勢慎治が、明治維新後小樽に渡り、良質の土を見つけて開窯。当初は古代文様やアイヌ風模様などの独特の作風でしたが、現在は様々な作品が作られ、特に緑玉織部という透明感ある青緑色の釉薬が有名です。
津軽焼(つがるやき)
青森県弘前市
元禄4(1691)年~
平清水三右衛門、瀬戸助、久兵衛らによって築窯されましたが、大正末期頃にすべての窯が廃窯。昭和11(1936)年に再考され、現在に至っています。青森の郷土色を生かし、りんごの木倍を原料としたリンゴ釉なども特徴的です。
八戸焼(はちのへやき)
青森県八戸市
江戸時代末期~
八戸焼、あるいは蟹沢焼と呼ばれた民窯ですが、昭和には既に幻のやきものと呼ばれるようになっていました。現在は、昭和50(1975)年に渡辺照山により再興されたもので、海草色と呼ばれる独自の緑釉が人気です。
白岩焼(しらいわやき)
秋田県仙北市角館
明治8(1771)年~
相馬の陶工・松本運七が白岩村前郷(仙北市角館)に開窯。東北3大窯業地の一つと言われましたが、明治33年には全て廃窯。昭和50年に渡辺すなおが再興し、現在に至っています。作品は青白い海鼠釉(なまこゆう)や鉄釉、飴釉、緑釉などです。
楢岡焼(ならおかやき)
秋田県大仙市
江戸時代末期~
かつては数軒の窯元がありましたが、現在は角右衛門窯のみが残っています。有名なのは、独特な青みと深みを持つ海鼠釉(なまこゆう)で、際立つ青が流れたり斑になったりして表面に景色を与えています。
堤 焼(つつみやき)
宮城県仙台市
江戸時代~
仙台の杉山台の陶土を使用し、杉山焼とも呼ばれ、乾山風の作品が特徴。近代には民芸運動の柳宗悦によって脚光を浴びましたが、衰退をたどってしまいました。現在は、かつての伊達藩御用窯であった針生窯が仙台市泉区に移転しています。
平清水焼(ひらしみずやき)
山形県山形市平清水
平安時代~
覚大師が千歳山の土を使ってやきものを教えたのが始まりと伝承、窯業地としての本格的な成立は江戸時代中期頃です。千歳山の原土を使用するため、千歳焼とも呼ばれます。梨青磁の青龍窯、油滴天目の平吉窯、そして民芸陶器の七右ェ門窯と、各窯がそれぞれの特徴を競い合っています。
会津本郷焼(あいづほんごうやき)               経済産業省指定「伝統的工芸品」
福島県会津美里町
文禄2(1593)年~
若松城の大改修で黒瓦を製造したのが始まりとされ、正保2(1645)年に会津藩主・保科正之が瀬戸の陶工を招聘して、本格的に製造が開始します。寛政12(1800)年には白磁が作られ、さらに発展。幕末の戊辰戦争などで大打撃を受けた時期もありますが、現在も生産は盛んで、純白の肌と優雅な文様の磁器が人気です。
大堀相馬焼(おおぼりそうまやき)                経済産業省指定「伝統的工芸品」
福島県二本松市
江戸時代~
相馬藩内で農家の副業として発展し、江戸末期には100数戸の窯元が存在、明治期に藩の援助もなくなり減少しました。現在は震災の影響で浪江町大堀は避難を余儀なくされ、二本松市小沢工業団地内に21の窯元が移転。器全体に地模様のように見える「青ひび」と、伸びやかな筆使いで描かれる「走り駒」が特徴的です。
相馬駒焼(そうまこまやき)
福島県相馬市
江戸時代~
京の野々村仁清の元で修行した田代源吾右衛門(のちに清治右衛門)が開窯。窯元当主は代々田代清治右衛門を襲名します。走り馬(駒)が特徴的で、駒焼とも呼ばれています。
益子焼(ましこやき)                       経済産業省指定「伝統的工芸品」
栃木県益子
江戸時代末期~
笠間で修行した大塚啓三郎が開窯、鉢、水甕、土瓶など日用の道具の産地として発展しました。大正13(1924)年に民芸運動を進めた陶芸家・濱田庄司が移住・開窯したことが影響し、益子焼は美術工芸品としても注目されるようになりました。現在は多種多様な陶芸家が集まり、作風も多種多様です。
笠間焼(かさまやき)                      経済産業省指定「伝統的工芸品」
茨城県笠間市
安永年間
(1772-1781年)~
箱田村(現在の笠間市箱田)の久野半右衛門が、信楽の陶工・長石衛門の指導で開窯。明治以降も厨房用粗陶器の産地でしたが、徐々に衰微しました。しかし昭和25年に茨城県窯業指導所が設立し、窯元が増加。現在は指導所出身者も含めて、県内外から多様な陶芸家が集まり、伝統と同時に作家の個性も重んじられています。
無名異焼(むみょういやき)                          重要無形文化財
新潟県佐渡市相川
江戸時代後期~
佐渡の無名異の土を使用し、楽焼(低温焼成の施釉陶器)を作ったのが始まりと言われています。明治に入り、高温で焼く硬質の無名異焼が完成しました。成形後と焼成後の二度にわたって磨きをかけて光沢を出すのが特徴で、堅く焼締まっているので、指ではじくと金属のような音が鳴ります。
大樋焼(おおひやき)
石川県金沢市
寛文6(1666)年~
楽家で修業した陶工・土師長左衛門を加賀藩主が招聘し、金沢氏大樋町に開窯、藩御用窯として、大樋姓を許されました。現在は10代目が活躍しています。楽焼の脇窯として茶陶を中心とした作品が作られ、飴釉が特徴的です。
九谷焼(くたにやき)            石川県無形文化財 / 経済産業省指定「伝統的工芸品」
石川県金沢市・小松市
   加賀市・能美市
   山代温泉
明暦1(1655)年頃~
九谷村で陶石を発見、肥前有田で修業した後藤才次郎が開窯。初期のものを「古九谷」と呼びますが、短期間で廃窯。約100年後に再興され、その後は「再興九谷」として区別します。再興九谷は青手の吉田屋窯、赤絵細描の宮本屋窯、京から招聘された名工・永楽和全の金襴手、九谷庄三の豪華な彩色金襴手など様々な窯が登場して隆盛。現在でも多くの作家・名工を輩出しており、高い人気を誇っています。
珠洲焼(すずやき)
石川県珠洲市
平安時代末期~
古墳中期に伝播した須恵器の系統のやきもので、古くから壺・甕・擂鉢などが作られましたが戦国期に姿を消し、幻の古陶と呼ばれていました。昭和30年以降、窯跡の研究が進み、考古学者に「珠洲焼」と命名され注目されます。昭和53年に珠洲市陶芸センターが設立し、珠洲焼が復興。現在は窯元や陶芸家が集まっています。
越前焼(えちぜんやき)                     経済産業省指定「伝統的工芸品」
福井県越前
平安時代末期~
東海地方からきた陶工集団が越前町小曽原に開窯したのが始まりと言われ、日本六古窯の一つ名。室町後期には25m越の大窯が作られ、壺・甕・擂鉢を主とした日常雑器を大量生産しましたが、江戸時代には生産量も減少。明治に信楽や瀬戸・九谷などから陶工を招いて食器や花瓶作りなどを始め、後継者の育成にも努めています。
赤津焼(あかつやき)                      経済産業省指定「伝統的工芸品」
愛知県瀬戸市赤津
慶長15(1610)年~
美濃で修業した仁兵衛・陶三郎の兄弟が尾張藩主に招聘されて、赤津で開窯。織部釉・志野釉・黄瀬戸釉・古瀬戸釉・灰釉・御深井釉・鉄釉の7種類の釉薬と、へら彫り・印花・櫛目・三島手などの12種類の多彩な装飾技法が特徴です。
瀬戸染付焼(せとそめつけやき)                 経済産業省指定「伝統的工芸品」
愛知県瀬戸市
江戸時代
(19世紀初頭)~
瀬戸の磁祖と呼ばれる加藤民吉(?~1824)が磁器の製造法を肥前で学び、瀬戸で瀬戸染付磁器を創成しました。透けるような白い素地に良質な呉須(青の顔料)を使って、日本画のような筆致で描いた山水・花鳥などの作風は、他の窯業地と一線を画し、近代の瀬戸窯業を飛躍させる大きな要因となりました。
瀬戸焼(せとやき)
愛知県瀬戸市
平安時代~
瀬戸窯業の歴史は古く、遅くとも11世紀初頭には開始していたと考えられます。平安時代末期からは無釉の碗や皿などが大量に生産され、また鎌倉時代初期から室町時代中期は「古瀬戸」と呼ばれる施釉陶器が作られました。桃山時代には天目茶碗などの高級な茶陶、江戸時代に入って、染付磁器を開発。現在は、瀬戸窯業の近代化・機械化が進み、産業としての窯業と、美術工芸の分野が共存しています。
常滑焼(とこなめやき)                     経済産業省指定「伝統的工芸品」
愛知県常滑市
平安時代末期~
日本六古窯の一つに挙げられ、中でも最大の生産地だったとされています。室町時代には大型の甕や壺が大量に生産され、日本各地に流通しました。江戸時代になって、それまでになかった茶道具などの工芸品が登場し、中でも現在でも名高い朱泥の急須は、江戸時代の終わり頃に中国の陶器を参考に作られたとされています。
渋草焼(しぶくさやき)                       高山市指定有形民族文化財
岐阜県高山市
天保12(1841)年~
飛騨郡代・豊田藤之進が戸田柳造に焼かせたことが始まりとされます。地元の渋草陶石を使用し、飛騨九谷・飛騨赤絵と呼ばれる陶磁器を作り始めました。一時期衰退しましたが、明治11(1878)年に芳国社が設立され、再興し現在に至ります。白磁に染付、赤絵などを施し、独特の渋草調を生みだしています。
美濃焼(みのやき)                       経済産業省指定「伝統的工芸品」
岐阜県多治見市
   土岐市・瑞浪市
平安時代~
岐阜県美濃地方の東部・東濃地方のやきものの総称で、古いものは古墳時代とされています。窯業としての成立は平安時代の須恵器、その後は桃山時代の茶陶隆盛に伴い、古田織部らの先導で志野・織部・黄瀬戸・瀬戸黒などが創造されました。有名な志野茶碗《卯花墻》は日本製では数少ない国宝。近代以降も、荒川豊藏をはじめ多くの陶芸家が集まり、窯元による伝統と個々の陶芸家の活動の両方が盛んです。
伊賀焼(いがやき)                       経済産業省指定「伝統的工芸品」
三重県伊賀市
奈良時代頃?~
古い歴史を誇る古窯であり、平安末期頃にはすでに本格的な窯業地として発展していたと考えられています。室町後期から桃山時代にかけて、茶の湯の隆盛により、伊賀焼も個性的な茶陶を「破調の美」として注目されるようになりました。江戸時代中期に一時期衰退しますが、18世紀中頃に再興され、現在では、伊賀市丸柱を中心に、土鍋や食器、茶陶など多岐にわたって作られています。
四日市萬古焼(よっかいちばんこやき)              経済産業省指定「伝統的工芸品」
三重県四日市市
元文年間
(1736-1741年)~
沼波弄山が創始した、異国趣味の斬新な赤絵が特徴的なやきもの。この弄山作品を「古萬古」と呼びますが、死後は一時期途絶えます。その後、森有節・千秋の兄弟によって再興。古萬古とは様式が異なり、ピンク色の釉薬に粉彩を施した華麗なもので、「有節萬古」と呼ばれています。現在の四日市萬古焼は、この流れです。
信楽焼(しがらきやき)                     経済産業省指定「伝統的工芸品」
滋賀県信楽
天平年間
(729-749年)~
日本六古窯の一つ。聖武天皇が紫香楽宮造営時に焼かれた瓦や汁器の須恵器が始まりとされています。その後は中世の主流の日常雑器の壺・甕・擂鉢、室町から桃山時代の茶陶、江戸時代には商業の発展に伴い、梅壷・みそ壷・徳利・土鍋など様々な種類が作られるようになりました。信楽の無釉焼締は、灰が溶けて釉薬をかけたようになる自然釉と、焼成による火色の景色が特徴的で、現在まで続いています。
京焼・清水焼(きょうやき・きよみずやき)             経済産業省指定「伝統的工芸品」
京都市五条坂
   清水焼団地、他
創業時期不詳
古墳時代から土器や須恵器・瓦などが焼かれた跡がありますが、一般的には江戸初期からの京窯によるやきものの総称(楽焼を除く)を指します。清水焼とは、この中でも東山の清水・五条坂で焼かれたものです。作風は、野々村仁清や尾形乾山の登場により、絵画的・蒔絵的な意匠の色絵が主流となり、特に江戸初期から中期にかけてを「古清水」と呼びます。磁器製作が始まると、奥田頴川や青木木米、仁阿弥道八など名高い名陶が次々と登場、現在も高い人気を保っています。
楽焼(らくやき)
京都市上京区
桃山時代~
樂家初代長治郎によって創始され、その後も樂家歴代によって継承されています。ロクロを用いず手捏ねで作られ、内窯(室内の小型窯)で比較的低温で焼成。長治郎は千利休の指導により楽焼を作り上げたとも言われており、作品も茶陶が中心。中でも樂茶碗は名高く、赤樂・黒樂の名品が数多く残されています。当主は代々樂吉左衞門を名乗り、現在は15代目。また広義での楽焼は、大樋焼などの樂家の脇窯をはじめ、低下度で焼かれた軟質陶器全般までを指すこともあります。
赤膚焼(あかはだやき)
奈良市赤膚町・五条山
創業時期不詳
古くは埴輪や土器、奈良時代以後は日常雑器が作られていたと考えられますが、始まりなど詳細は不明。文献資料としては天正年間(1573~1592)以後で、現在の赤膚焼として確立は江戸時代に入ってからです。赤膚焼の中興の祖は陶工・木白で、様々な茶陶を焼き、名声を高めました。現在では、作風が時代に応じて変化し、モダンなデザインなど多種多様になっています。
出石焼(いずしやき)                      経済産業省指定「伝統的工芸品」
兵庫県出石
江戸時代中期~
二八屋珍左衛門が出石町谷山の柿谷に白色原石を発見し、伊豆屋弥左衛門が出石郡細見村に開窯とされています。江戸時代後期には、染付師鹿児島屋粛平が出石町西位花山に開窯し、多くの優品を生み出し、愛陶家の垂涎の的になっています。現在の出石焼は白磁を中心としたやきもので人気です。
丹波立杭焼(たんばたちくいやき)                経済産業省指定「伝統的工芸品」

兵庫県篠山市立杭
平安末期・鎌倉初期~

日本六古窯の一つ。当初は壺・甕・擂鉢が主流でしたが、江戸前期には茶入や水指・茶碗、後期には名工も登場して、湯呑・皿・鉢・徳利・花瓶など様々な生活用器が広く流通しました。特に徳利は人気が高く、様々な形や意匠の作品が数多く残されています。以前は丹波焼や立杭焼と呼ばれましたが、現在は「丹波立杭焼」の名称で伝統的工芸品指定を受け、多くの窯元や陶芸家たちが、様々な時代の作風を伝統としたり、あるいは独自の様式や技術を生み出し、多種多様な作風が楽しめます。
大谷焼(おおたにやき)                     経済産業省指定「伝統的工芸品」
徳島県鳴門市
安永9(1780)年~
徳島藩主が磁器焼成を目指し、肥前(九州)の陶工を招聘して藩窯を作ったのが始まりとされています。しかし地元に磁器の材料がないため短期間で閉窯、その後天明4(1784)年に信楽の陶工の指導の下に再興されました。現在では、大甕から日用雑器まで様々なものが作られ、民芸調や独自性あふれるやきもので、人気です。
砥部焼(とべやき)                       経済産業省指定「伝統的工芸品」
愛媛県砥部
江戸時代~
安永4(1775)年に、藩主が砥石山から産出する砥石を使った磁器生産を命じ、本格的に開始。肥前から招聘した陶工により白磁焼成に成功、文政1(1818)年に良質の川登陶石が発見され、より白い磁器生産が可能に。近代には民芸運動の柳宗悦やバーナード・リーチ、浜田庄司らが高く評価し、富本憲吉が近代的デザインを後押したことで、現在まで手作りの魅力とモダンな作風が、人気を集めています。
因久山焼(いんきゅうざんやき)
鳥取県八頭
明和年間
 1764-1772年)~
京焼の陶工・六兵衛が、池田藩の御用窯として庇護の下に開窯。因久山の名は所在地の因幡国久能寺にちなんでいます。その後、信楽焼の技法も伝えられ、京焼と信楽焼の技法が混じり合い独特の風雅さと土味のある作風が形成されました。名工が次々と登場し、茶陶や日用雑器を作り続け、藁灰釉や緑釉、海鼠釉、辰砂などさまざまな釉薬を用いた素朴で格調高い作品が広く愛好され続けています。
牛ノ戸焼(うしのとやき)
鳥取県牛戸
天保年間
(1830-1844年)~
因幡の陶工・金河藤七によって開窯するも、藩などの庇護のない民窯のため、一時的に衰退。昭和に民芸運動の吉田璋也、柳宗悦、バーナード・リーチらの指導の下で復興しました。以後は民芸調の「用の美」を追求したやきものとして、高い評価を得て現在に至っています。
石見焼(いわみやき)                      経済産業省指定「伝統的工芸品」
島根県江津市
江戸時代~
周防岩国藩から製陶法が伝わったとされ、大甕などを中心に、北前船で全国に出荷されてきました。現在では多様なニーズに合わせ、甕以外にも茶器や壺、食器など様々なものが作られています。深みのある茶褐色の釉薬が伝統的な特徴ですが、現在では研究も進み、彩りも様々になってきています。
出西焼(しゅっさいやき)
島根県安来市
昭和22(1947)年~
松江の袖師窯や益子、丹波、沖縄など全国各地で学んだ地元出身の5人が協同して開窯。創業時から民芸運動の柳宗悦や河井寛次郎、バーナード・リーチなどの指導を受け、現在に至っています。伝統の継承と同時に、モダンな作風が加わり、大衆向けの民陶として人気です。
袖師焼(そでしやき)
島根県松江市
明治10(1877)年~
初代・尾野友市が松江市上乃木の皇子坂に開窯。昭和に民芸運動参加、河井寛次郎らの指導を受けて、民陶として現在に至ります。出雲に伝わる技術を基本に地元の土と釉薬にこだわる一方、時代のニーズに合った様々な日用雑器を作っています。
母里焼(もりやき)
島根県安来市伯太町
弘化1(1844)年~
母里藩の産業・文化事業として開窯、御用窯として、茶碗や皿・湯呑・土瓶といった日用陶器を中心に作られてきました。色の豊富さが特徴的で、伝統の色に加え、現在までに窯元が新しく加えた色を含めると約30種類もの釉薬があります。
備前焼(びぜんやき)             重要無形文化財 / 経済産業省指定「伝統的工芸品」
岡山県備前市伊部
古墳時代~
古墳時代の須恵器、平安時代に生活用器の碗・皿・盤や瓦などが生産されたのが始まり。鎌倉時代には壷・甕・擂鉢が多く作られ、室町時代以降には茶陶や日常雑器の他に置物も作られるようになります。近代に衰退するも、「中興の祖」人間国宝・金重陶陽により再び脚光を浴び、その後も藤原啓・山本陶秀・藤原雄・伊勢﨑淳と、次々と人間国宝を排出。作風は、釉薬や絵付なしで焼き、土味を見せるのが特徴です。焼き味の景色には、胡麻・緋襷・牡丹餅などがあって愛好家に楽しまれています。
萩 焼(はぎやき)                       経済産業省指定「伝統的工芸品」
山口県萩市・長門市
慶長9(1604)年~
陶祖である、朝鮮渡来の李勺光・李敬兄弟が御用窯として開窯。この御用窯を「松本萩」、後に分かれて長門に築窯したものを「深川萩」と呼びます。松本萩には、坂高麗左右衛門や三輪休雪、深川萩には坂倉新兵衛や田原陶兵衛・坂田泥華が伝統的な陶家として代々受け継がれて有名です。作品は高い吸水性が特徴的で、長年使うと茶や酒が浸透する「茶馴れ」が使い手に愛されています。
上野焼(あがのやき)                      経済産業省指定「伝統的工芸品」
福岡県田川郡
  香春町・福智町
慶長年間
(15961-615年)~
千利休の弟子、豊前藩主・細川忠興が招聘し、渡来した朝鮮陶工・尊楷(和名:上野喜蔵)が開窯、格調高い茶陶を作りました。遠州七窯の一つにもあげられ、当時の茶人も愛好。現在では茶陶だけでなく、日用雑器なども作られるようになり、時代によって趣を変化させながらも、洗練された作品を保っています。
小石原焼(こいしわらやき)                   経済産業省指定「伝統的工芸品」
福岡県小石原
江戸時代前期~
黒田藩藩主が高取焼の2代高取八蔵貞明を招聘して鼓に開窯した、筑前最初の窯業地です。御用窯的な役割をし、茶陶中心に生産。その後、八蔵の孫八之丞貞正が皿山に開窯、主に日用陶器を焼きました。現在も鼓は茶陶、皿山は民陶として刷毛目・飛び鉋・櫛描などの意匠で知られています。
高取焼(たかとりやき)                     経済産業省指定「伝統的工芸品」
福岡県直方市
慶長年間
(1596-1615年)~
筑前藩主・黒田長政より、渡来した朝鮮陶工・八山(和名:高取八蔵)が開窯。前黒田藩の御用窯として、茶人大名の黒田如水・小堀遠州らが九州の風土の中で育て、上質な茶陶が作られました。遠州七窯の一つにあげられ、中興名物の茶入などは特に有名。現在では、高取黄釉・白釉・春慶釉・高宮釉・道化釉・真黒釉・緑青釉・ふらし釉・飴釉などの釉薬の種類があり、茶陶を中心に様々なものが作られています。
有田焼(ありたやき)                      経済産業省指定「伝統的工芸品」
佐賀県有田
江戸時代初期~
有田で焼かれた磁器の総称が「有田焼」です。以前は伊万里港から出荷されていたため、「伊万里焼」と呼ばれていました。1616年に渡来した朝鮮の陶工・李参平が磁器の原料となる陶石を有田で発見し、国内ではじめて磁器の焼成が行ったが始まり。17世紀後半には、国内はもちろん、海外への輸出を盛んに行われ、隆盛を誇りました。作風は、堅く薄く丈夫で、透明感のある白磁に鮮やかな絵付が施された華麗なもの、現在でも多くの窯元や作家が競い合っています。
伊万里焼(いまりやき)                     経済産業省指定「伝統的工芸品」
佐賀県伊万里市
江戸時代初期~
江戸時代、肥前の磁器を伊万里港から出荷したため、総称として伊万里焼と呼んでいました。これが「古伊万里」です。対して現在の伊万里焼は、鍋島藩の御用窯として大川内山で焼かれた「鍋島焼」を受けついてきた、大川内山のやきもののことを呼んでいますが、厳密に有田焼との区別は難しいのが実情です。ちなみに鍋島焼は献上用として最高級の磁器を目指したもので、その高度な技法と様式美を現在まで受け継がれており、現在14代目となる今泉今右衛門家はその代表です。
唐津焼(からつやき)                      経済産業省指定「伝統的工芸品」
佐賀県唐津市・武雄市
桃山時代~
古くから朝鮮より陶器の技術が伝播していたと考えられますが、現在の唐津焼につながる本格的な窯業は、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に渡来した陶工たちによって開窯されたのが始まりです。茶陶の優品が数多く残されていますが、日常雑器も人気があり、特に愛陶家の間では、「備前の徳利、唐津のぐい呑」と言われるほどです。種類も絵唐津・朝鮮唐津・斑唐津・彫唐津など豊富。中でも有名な伝統の陶家・中里太郎衛門は当代で14代目、過去には人間国宝も排出しています。
現川焼(うつつがわやき)
長崎市現川
元禄4(1691)年~
矢上村(現在の長崎市現川町)で田中宗悦によって開窯、矢上焼とも呼ばれます。唐津と京が混じった作風で、茶碗・皿・鉢・向付などを生産、寛保年間(1741-1744)に廃窯に。明治に馬場藤太夫が再興し、昭和には横石臥牛が古現川焼を復興、現在に至ります。薄手の素地に白い化粧泥を刷毛で施した作品が有名です。
波佐見焼(はさみやき)                     経済産業省指定「伝統的工芸品」
長崎県波佐見
江戸時代?~
始まりは諸説があって詳細不明ですが、初期には陶器が作られ、後に青磁、さらに染付が作られるようななりました。そのほとんどが日常食器であり、中でも唐草模様を筆で簡単に描いた「くらわんか碗」と呼ばれた丈夫で壊れにくい、厚手で素朴なやきものが代表的です。現在も、磁器の食器の生産は国内でもトップクラス。
三川内焼(みかわちやき)                    経済産業省指定「伝統的工芸品」
長崎県佐世保市
慶長年間
(1596-1615年)~
平戸焼とも呼ばれ、平戸藩の御用窯として渡来した朝鮮陶工が開窯しました。18世紀初頭には天草陶石を用いた白磁に染付(藍色の絵付)された作品が作られるようになり、海外にも輸出されました。明治以降民営となり、一時期衰退しましたが、意匠伝習所を設立、新しい意匠なども考案され、現在も盛んに作られています。
小鹿田焼(おんたやき)                            重要無形文化財
大分県日田市
宝永2(1705)年~
黒木十兵衛が小石原村の陶工・柳瀬三右衛門を招いて開窯。昭和29年には民芸運動でも有名な陶芸家バーナード・リーチが約1ヶ月滞在し、優れた民窯として注目を集めるようになりました。窯元は10軒あり、創業以来ほぼ同数のまま一子相伝で受け継がれて今日に至っています。作風は飛び鉋、刷毛目、櫛描、打ち掛け、流し掛けなどの多彩な技法が用いられ、昔ながらの陶法に人気が集まっています。
天草陶磁器(あまくさとうじき)                 経済産業省指定「伝統的工芸品」
熊本県天草地方各地
江戸時代~
熊本県天草地方で焼かれる陶磁器の総称で、国の伝統的工芸品に指定された際につけられた新しい呼び名です。豊富な天草陶石と陶土が採掘されるため、古くから磁器の内田皿山焼や高浜焼、陶器は丸尾焼、水の平焼などが、天草の天領(幕府の直轄地)の各地で焼かれていました。現在でも多くの窯元・陶芸家が伝統と独自性のあるやきものをそれぞれ競い合っています。
高田焼(こうだやき)
熊本県八代市
寛永9(1632)年~
八代焼とも称し、転封する細川三斎に従い、豊前国上野にいた陶工・尊楷(和名:上野喜蔵)が開窯。初期は上野焼の作風でしたが、きめの細かい胎土を用いるようになり、象嵌の技法が完成され、褐色地に白模様の象嵌だけでなく、白地に黒色の象嵌模様の太白焼(白八代または白高田)と呼ばれるものも焼かれるようになりました。現在では、高麗風の象嵌を施した高麗青磁の作品も作られています。
小岱焼(しょうだいやき)                    経済産業省指定「伝統的工芸品」
熊本県荒尾市・
   南関町・熊本市
寛永9(1632)年~
小代焼とも表記し、豊前から転封された細川忠利が陶工の牝小路家初代源七、葛城家初代八左衛門を従え、開窯したのが始まりです。作風は、鉄釉に白濁釉を流し掛けしたものが代表的で、素朴で味わいがあり、現在では茶器の他に、食器などの日用品も多く作られています。
薩摩焼(さつまやき)                      経済産業省指定「伝統的工芸品」
鹿児島県姶良市・
 日置市・鹿児島市
慶長4(1599)年~
渡来した朝鮮陶工が、朴平意を中心として薩摩各地で開窯。現在県内には、竪野系・苗代川系・龍門司系が薩摩焼の系譜として続いています。薩摩焼は一般に「白薩摩(しろもん)」と、「黒薩摩(くろもん)」に大別され、前者は豪華絢爛に色絵された錦手の作品で海外でも有名。後者は、鉄分の多い土で黒っぽく、重厚な雰囲気で、日用雑器が主です。最近では焼酎のブームに伴い、黒薩摩の黒千代香(くろちょか)と呼ばれる焼酎用の土瓶も知られるようになっています。
種子島焼(たねがしまやき)
鹿児島県種子島
江戸時代~
種子島島内のみで使用されていた民窯の能野(よきの)焼が始まりですが、島外に知られることなく明治には廃窯になっていました。しかし、昭和46年、唐津の伝統を持った陶工により再興され、現在に至っています。作風は、島の鉄分を含んだ土を用い、丈夫で素朴な風合いのやきものになっています。
壺屋焼(つぼややき)                      経済産業省指定「伝統的工芸品」
沖縄県
 那覇市壺屋・読谷村
17世紀~
海外との交易が盛んだった琉球では、早くから中国や南方諸国の陶法が伝えられていたと考えられています。1682年に王府の政策により各地の窯を統合し、現在まで続く壺屋焼となりました。明治に民芸運動の柳宗悦・濱田庄司らが訪問し、一躍全国的に有名に。昭和には金城次郎(人間国宝)をはじめ、多くの陶芸家が読谷村に移転て陶芸村(やちむんの里)をつくり、そちらは読谷壺屋焼とも呼ばれています。沖縄独特の色鮮やかな絵付や彫刻紋様は、現在でも人気を集めています。