磁器に至る道

update:2018/03/23

今回のテーマは「磁器」です。よく精製された土をしっかりと焼いて、表面がガラス化し、水をはじく真っ白なやきもののこと。
有田の柿右衛門は代表的な磁器の名窯ですが、ひょっとしたら、リチャード・ジノリの「ベッキオ・ホワイト」の方がイメージしやすい方も多いかもしれません。永遠の定番として硬質磁器の代名詞とされる白い食器のシリーズは、ブランド洋食器として名高く、ちょっとしたレストランなどで見ることも多いでしょう。

もちろん、日本でも磁器は数多く作られています。地が白くて薄手、指ではじくとキンと鳴る皿や茶碗は、誰もが使っている器のはず。愛知県瀬戸や岐阜県多治見、佐賀県有田は磁器でメジャーな産地で、100円ショップでも並べられるほどです。

しかし、これらは明治以降の産業としての話。実は、明治期の日本では陶磁器は花形の輸出産業だったのです。一方、先ほどから名前が挙がっている柿右衛門、現在14代目である酒井田柿右衛門家(※註)は江戸時代初期から続く有田の磁器の名家。初代柿右衛門が日本における最初の磁器を作ったとされています。その後、石川県の九谷焼や、当初は陶器を作っていた京焼も後に磁器を作るようになりました。

とにかく、日本では江戸時代の17世紀、ヨーロッパでも18世紀頃から作られるようになりましたが、それらは中国の磁器に対する憧れから、模倣で始まりました。つまり、最初から「磁器」の理想型があって、それを目指して誕生したもの。ですから、磁器の誕生というのは年表上に書き込めるほど明確な事件です。

しかし、中国は違います。紀元前の施釉陶器(せゆうとうき:釉薬がかかった陶器)を原始磁器と位置付けられています。そして、その後長い間、中国大陸の各地で緩やかに発展し続けてきたのですから、どの段階から「磁器の誕生」なんて言うことは難しいことですし、研究者でもなければ意味もありません。

その発展というのは、土や釉薬の原料を精製し、不純物を少しでも多く取り除くことで、より白い素地と透明感のある釉薬を作り、さらには窯を開発して焼成技術を上げるという、派手な発見とは遠い地道な作業でした。しかし、その結果が、中国の皇帝たちに愛されてきた器たちへとなったのです。
その代表が“雨過天青(うかてんせい)”とか、“秘色”と称される透明感のある青い器の「青磁」や、“雪の如し、銀の如し”と称される白い器の「白磁」、さらには白磁に絵付を施した、「赤絵」や「色絵(中国では五彩)」、青をベースとした「染付(中国では青花)」などがあげられます。

さて、日本に話を戻しましょう。現在の日本は、世界を見回しても「やきもの黄金期」と言っても良いのではないでしょうか。磁器に関しても、伝統的なやきものを受け継ぎ作り続けている一方、中国や朝鮮、ヨーロッパの意匠に傾倒したようなもの、産業デザインとして、さらには近現代の「個」を全面に押し出したものなど、あらゆる時代と各地の磁器が「現代の日本」という視点を加えて集まってきており、さらに日本ならではの独自性を持って多種多様に誕生し続けています。青磁も白磁も、色絵、染付など、優れた作り手たちがいますし、「個の創造力」で考えれば、現在は日本のやきものが世界一と思っているくらいです。現代作品を買うなら、中国の名高い景徳鎮という伝統的な名窯に行って、お土産の色絵磁器を買ってくるより、日本人の色絵磁器が断然おすすめです。

さて次回は、歴史という観点から、「やきもの」の事件や用語を押さえてみましょう。陶器と磁器の概略が頭に入ってくると、歴史もずいぶん面白くなってくるはずです。
 

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(2010年初出、転載・加筆修正、2023年加筆修正)
 
※註:2013年の14代逝去に伴い、翌14年に14代の長男が15代を襲名しました。(2023年6月加筆)