陶器の発展 (1)

update:2018/03/09

前回は「陶器とは」ということで、ざっくりお話をしてみましたが、今回はいろいろな陶器をあげてみましょう。回はいろいろな陶器をあげてみましょう。といってもあまり教科書的にしたくないので、個人的に「有名かな」と思うものをランダムに、しかも技術的な話は抜きにして、名前だけをざっと取り上げるのみにします・・・とても書ききれないので。
とりあえず、聞き覚えのあるものが出てくれば、楽しくなってくるかもしれません。

まずは「やきもの」のイメージでありがちな「茶の湯」の世界で有名な陶器から。

茶の湯と言えば、茶碗の上位として「一楽二萩三唐津」という言葉があります。

樂は京都の「樂焼」。千利休が指導し、初代・長治郎が創始。桃山から江戸時代にかけて、さまざまな名品が生まれましたが、国宝指定されている茶碗は本阿弥光悦の《不二山》一点のみです。現在は15代樂吉左衞門(※註)が活躍しています。

次は山口県の「萩焼」。朝鮮渡来の李勺光が藩の御用窯として開窯されました。現在まで山口県内に数軒の陶家が伝統を絶やすことなく続いています。その筆頭格が、三輪家先代で、萩焼の人間国宝だった三輪壽雪(11代三輪休雪)でしょう。現在はその長男で、オブジェ陶で名を馳せた12代三輪休雪が跡を継いでいます。

そして佐賀県の「唐津焼」。こちらも朝鮮渡来の陶工たちが各地で開窯したやきものです。唐津焼は釉薬などの種類が豊富ですが、それは秀吉の朝鮮戦争でいかに多くの技術者が連れ出された結果を表しています。現在も続いている有名な陶家は、中里家。近代以降、名高い陶芸家をたくさん輩出しており、現在の当主は14代中里太郎右衛門です。

もう一つ加えましょう。

個人的には一楽二萩三唐津に加えたいと思うのが「志野」です。
美濃(現在の岐阜)で焼かれましたが、これも短い期間で消えたらしく、茶の湯の主流にあげられなかったようです。しかし、日本産の国宝茶碗は前述の《不二山》と、志野茶碗の《卯花墻》のみというのは特筆すべきことですね。
志野は現在でも作り手が多く、湯呑や酒器など、多くの器が愛好されています。有名な陶芸家・荒川豊藏(1894〜1985年)が往時の志野を再興し、さらに自身の志野を確立させ、人間国宝に指定。また現在の志野の人間国宝・鈴木藏の作品は、志野ファンの垂涎の的です。

さらにここに、民衆の生活雑器からはじまり、茶の湯の世界にも入っていったやきものを加えましょう。

古いもので現在まで愛好者が多いのは、岡山県の備前焼と滋賀県の信楽焼。どちらも、釉薬を用いない焼締(やきしめ)。土の色と窯の焼き方で器の表面に独特の肌を持たせた、「土味」を生かしたやきものです。昔から、穀物類を保存するための壺や甕(かめ)、料理の時の擂鉢(すりばち)を作っていましたが、現在では食器や酒器など、さまざまなものが作られています。

昭和の備前の巨匠・金重陶陽は備前中興の祖と呼ばれ、桃山風の茶陶もたくさん制作しました。さらに備前焼ではその後も人間国宝を排出し続けています。現在は、伊勢﨑淳。ちなみに、備前焼のビール杯は泡がきめ細かく、おいしいと評判。飲む前に冷蔵庫で冷やしておくと、ぬるくならず、ゆっくりビールを愉しむ事ができます。

信楽焼は、ひょっとしたら、お店の前で鎮座している陶器の狸を連想するかもしれませんが、あれの歴史は比較的新しいもの。信楽は現在ではいろいろなものが焼かれていますが、茶陶の伝統の陶家としては、6代上田直方が知られています。

・・・さて、駆け足で有名どころをあげていきましたが、今日はここまで。
次回は、中国・朝鮮半島の陶器の話に続きます。
 

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(2010年初出、転載・加筆修正、2023年加筆修正)
 
※註:樂家につきましては、2019年に15代のご長男が16代を襲名し、15代は「直入」と改名されました。ちなみに、樂家では当主襲名時に戸籍も変更されていますので、当代も本名を名乗られていることになります。(2023年6月加筆)