中世

update:2018/07/27

さて、窯の話は、大量生産へと進む、中世窯へと移っていきます。

鎌倉・室町時代と進むにつれ、庶民レベルまで陶器が使われるようになります。やきもの史における中世の三大器種が壺(つぼ)・甕(かめ)・擂鉢(すりばち)です。どれも、現在のものからイメージされているのなら、実物は格段に大きいサイズのものですので、ぜひ博物館で確認をしてみてください。大甕になると、口を残して土に埋め、水や穀物を保存しましたので、大人が入るぐらいの大きなものもあります。

需要が高まり、大きなものも焼くとなれば、窯も大きくなってきます。そして、焼くのも長くなり、窯焚きは大規模になってきます。大窯時代です。それまでの穴窯から2倍以上、最大規模ですと、50m以上あります。構造的には、穴窯の大型版、つまり斜面にシンプルなトンネル状のもの。違いは、大きくなった分、柱が増え、それまで地下にあった穴窯の形態の大部分を地上に出した半地下式の構造であるということです。

ところで、穴窯や大窯の焼成時間とは、どのくらいでしょうか?

窯の構造やサイズ、焼き方の問題等々でいろいろと差がありますが、現在の陶芸家の例を言えば、穴窯は3〜7日程度焚くというのが比較的多いようです。では大窯なら? 近年になって大窯を復興させた陶芸家の話では、窯のサイズは100m規模で、窯焚きは約2ヶ月間。もちろん、その前に膨大な薪を集める作業があり、窯に作品を詰め、焚き終わった後も、窯内の熱を冷ます時間がかかります。そもそも、そのように大きな窯に作品を詰める訳ですから、相当な数量の作品を成形しなければなりません。数千、もしくは数万の規模です。まさに、個人としては空前絶後な訳です。

この大事業は、室町の当時は共同事業として、集落で組織立って行われました。
有名なのは、岡山県の備前焼。桃山時代には窯組を組織しており、六姓と総称される陶工の家が誕生しました。その家々は現在まで流れをくみ、伝統を守っています(途絶えた家もあり)。そして、この当時より、備前焼には胴や底に窯印(かまじるし)と呼ばれる目印が付けられるようになりました。共同窯のため、誰のモノか区別するための単純なマークでしたが、後には商標的にも考えられるようになりました。備前焼は現在でも窯印を入れるのが一般的ですので、本格的に備前焼を知りたいと思ったら、窯印を外すことはできません。

ちなみに、備前陶器窯跡は国指定の史跡です。伊部駅から歩いて行けますので、ぜひ。

大窯の稼働は主に室町時代。江戸時代に入る頃には規模が縮小していき、やがて終焉します。理由は色々あるでしょうが、一つには秀吉が朝鮮半島に出兵した文禄・慶長の役(別名、やきもの戦争)。朝鮮半島から連れてこられた陶工たちにより、新しい技術と窯の構造が伝わったのです。

ということで、次回は、やきもの戦争以後、近世の窯の話です。
 

備前焼ものがたり

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(2011年初出、転載・加筆修正、2023年加筆修正)