update:2019/02/01
白の器の代表、「白磁」の話をしていきましょう。素地そのものが白いので、割れた陶片をみても、中まで白いのが白磁です。
◎白磁の誕生〜中国
白磁の歴史は中国から。6世紀には作られていましたが、初期の白磁は、現代なら白磁と呼ぶことはないようなもの。白磁の完成形には年月が必要でしたので、いわゆる「白磁」としては、中国の唐代の後期の8世紀頃からです。唐の陸羽が記した「茶経」には、白磁を「雪のごとし」と謳っていることからも、真っ白に輝く白磁が完成していたことが分かります。
では、ここで白磁の技術的な説明。純度の高いカオリンという白色の素地に透明の釉薬を掛けて高温で焼かれた、白の硬質磁器のことです。前述のとおり、中国ではかなり早い時期から作られていましたが、世界中に伝播するにはかなりの年月を要しました。
白と言ってもいろいろで、中国の最高峰のような「白」に到達するためには、良質な土の入手や、さらにはその土を精製し、純度を高めることによって白くする必要があります。そして、もちろん、焼き方も重要です。その上で、洗練されたフォルムと丈夫で硬く仕上げるのは、大変高度な技術だったわけです。そこで、朝鮮半島は10世紀ぐらい、次いで日本は江戸時代初め、さらに欧州では18世紀に入ってからという、中国から数世紀も後の時代まで待たなければなりませんでした。ですから、世界中で中国の白磁に対する憧れの思いは強かったのです。
さて、有名な白磁をざっとご紹介してみましょう。
北方系を代表する定窯と、南方系の景徳鎮窯が有名。一般的には、その違いを「白」の色で説明しています。定窯の白は象牙色(アイボリー系の温かみのある白)で、景徳鎮窯はやや青みの入った白や純白。景徳鎮の方が、作られた器種も多く、大量に生産されていました。焼き方も異なり、定窯は石炭(※註)、景徳鎮窯は薪で焼かれたようです。
◎李朝の白磁
次は朝鮮半島。古くは高麗白磁、そして李朝白磁と呼ばれています。特に李朝白磁は、生活必需品として広く使用されていたものであり、中国における皇帝のための完璧な器や、欧州の貴族で人気を博した輸出用のものとは違った魅力があります。現在の日本の白磁作家でも、定窯や景徳鎮窯の白磁に憧れを持って制作する人がいる一方で、李朝白磁に特別の思いを持って制作をされる方がたくさんいるのです。
◎百花繚乱の日本の白磁
そして、日本。佐賀県有田で白磁に最適な石場が発見され、最初の白磁が作られました。その後、九谷や京でも作られるようになります。ただし、江戸時代の白磁にはあまり有名なものがありません。白磁が完成すると、絵付けの方に重点がおかれ、白磁としての美の追究はあまり盛んでは無かったように思います。それは、江戸時代という時代の潮流も影響していたでしょう。平和な時代の町民文化では、それまでの武家文化と違って比較的華やかなものが好まれ、やきものでも、有田焼をはじめ、九谷焼、京焼など当時の隆盛を誇った窯業地は、さまざまな意匠の「絵」を施しています。
実は、日本においての白磁の最盛期は、「今」ではないかと思っています。人間国宝を筆頭に、中国や朝鮮の白磁をリスペクトしたものから、欧州の食器デザインを昇華したもの、さらにはオブジェまで、実にさまざまの陶芸家が活躍しています。
◎ヨーロッパの追随
最後に欧州も触れましょう。最初に白磁を成功させたのは、ドイツのマイセン窯です。当初は中国や日本の磁器の模倣からはじまりましたが、後には世界の代表する、西洋白磁の頂点と言ってもいい存在までなりました。
ちなみに現在、私たちが日常で大量生産の白磁をよく見かけますし、多くの家庭にもあると思いますが、それはヨーロッパの食器文化のデザインによるものがほとんど。昭和に入ってマイセンなどの欧州の名窯のデザインに憧れた日本人は、それ風の食器を作ったりして、食卓を賑わしているのは、なんともおかしな話であります。
次回は、白い陶器の代表的なものをご紹介します。
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(2011年初出、転載・加筆修正、2023年加筆修正)
※註:中国では、宋の時代に石炭を燃料とするエネルギー革命が、イギリスより先に起こっており、鉄の生産などは拡大しましたが、蒸気機関などの機械の発明はなかっため、イギリスが世界初の産業革命と言われています。(2023年6月加筆)