update:2019/09/03
はじめに…
本稿では無責任且つ個人的に主観を書いています。
第2回は《卯花墻》です。前回が《不二山》でしたから、同じく国宝である、この名碗を登場させるのは、当然のことですよね。
ではまず基本情報。志野茶碗《卯花墻(うのはながき)》は、国焼では2碗しかない国宝の茶碗の一つ。作者は不明ですが、安土桃山時代に、美濃(岐阜県)の大萱牟田洞で焼かれたモノと考えられています。言うまでないことですが、志野焼の最高峰です。
現在の所有は、三井記念美術館。残念ながら常設展示ではありませんが、こまめに展覧会情報をチェックしていれば、見る機会はそんなに少なくありませんので、機会を逃さず足を運んでいただければと思います。
三井記念美術館
東京都中央区日本橋室町2-1-1 三井本館7F
http://www.mitsui-museum.jp/
さて、卯花墻という銘についてですが、箱書きに歌銘がついていることに由来しています。
山里の卯の花墻の中の道 雪踏み分けし心地こそすれ
この古い歌は、詠み人が不明ですが、茶道の石州流の開祖で江戸初期の大名茶人である宗関公(片桐石州)と言われています。
初夏の道に、白く愛らしい卯の花が雪が降り積もるように垣根に咲いているようすが、楽しげに謳われていますね。
ただ、筆者にはこの茶碗の作者が、卯の花が咲く垣根をイメージして絵付けしたとは思えません。卯花墻というのは、後の所有者の“見立て”でしょう。この点は、前回の《不二山》が、作者の光悦自ら名付けたのとは違う点だと思います。
この特異な造詣も、大らかに井桁のように筆をバンバンと真っ直ぐに踊らせたものにも、作為を感じられませんから。
感じられるのは”遊び心”だけ。この造詣の表面が無地だと寂しかったのでは?
しかし結果として、鉄絵の赤い線の上に、たっぷりした白い釉薬が、確かに卯の花の垣根に見えるのです。それを見出すだけの美意識を持ちたいもの、というのが筆者の第一印象でしたね。
いずれにしても、どの茶碗もそうですが、これは特に、実物を見ないとわからないことがたくさんあります。平面な写真では、実物の立体感が分からないからです。
この茶碗も、思いの外、形が自由に歪み、それに自由な力強い筆が、実物を見ることでわかると思います。
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(2023年加筆修正)
追記。。。
「陶磁器名品」リストはこちらに掲載しています。
蛇足。。。
全国の諸銘菓を集めた「卯花墻」というお店もありますね(笑)。